2013年11月23日土曜日

九份の悲しい歴史と別れ

九份にいたのは、結局2時間ほどだっただろうか。

着いたときから降り続いていた雨は、止むどころか、どんどんと激しくなってきた。


阿妹茶酒館の向かいにある茶館も、霧の中に包まれている。


九份にある唯一の映画館。昇平戯院。

九份に住んでいた人々の憩いの場所であったろう。この映画館は、映画『非情城市』の舞台にもなった。

この映画は、台湾の歴史に、今も悲しい影を落としている、二・二八事件をテーマにしている。二・二八事件とは、日本の敗戦で、台湾が植民地から解放された直後の1947年に起こった事件。

中国本土での共産党との戦いに敗れた国民党が、台湾に逃れ、台湾の人々は、ようやく日本から解放されたと思ったのもつかの間、新たな支配者を迎えることになった。

そうした支配者への反発から生まれた小さな事件が、多くの逮捕者、死者、行方不明者を出した、大事件へと発展していくことになる。

この事件とは、この旅の先で、また出会うことになる。


九份は、19世紀の後半に金鉱が発見されて、文字通りゴールドラッシュに沸いたが、やがて、日本の占領下となり、日本の藤田組がその開発を請け負い、多くの地元の労働者を使って、金を採掘した。

その労働は、過酷なものだった。体を壊した人々が入院した、当時の病院後が、観光地の片隅にひっそりと建っていた。

九份とその周辺の金鉱は、東アジアでもっとも豊富な金鉱であったという。日本は、そのほとんどを取り尽くし、台湾の開発や、その後のアジアの国々との戦費に使った。

戦後は、その採掘量は激減し、1971年には廃鉱となり、映画『非情城市』のロケ地となるまで、忘れられた町になった。

それが一転。現在では、台湾を代表する観光地になっている。

台北へ戻る頃には、辺りは少し暗くなり始めていた。

ガイドの江さんによれば、夜になると、町中にボンボンの明かりが灯され、町全体が幻想的な雰囲気に包まれ、多くの台北市民が、その夜景だけを味わうために、家族連れで車を飛ばしてくるという。

ほんのわずかの滞在だったが、この九份という小さな町は、私の心に、強く、そして深い印象を残した。

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