台北の初日の夕食は、ホテルが入っているQ squreという複合施設の地下3階にある、食楽大道というフードコートで、台湾料理を味わった。
ざっと見回すと、20件くらいのいろいろな飲食店が並んでいる。台湾、中国料理が多いが、中には大戸屋、CoCo壱番屋などの日本の店や、インド料理、パスタ屋などがある。
内装は、若者向けのオシャレな内装になっている。客層は幅広く、文字通り老若男女、実にいろいろな人たちがいた。
注文したのは、海鮮スープセット。エビ、白身の魚、あさり、つみれのような練物、野菜、そして春雨などが入っていた。スープの味はあっさりめ、塩気はあまりなく、出汁だけで作っている感じ。
デザートは、日本のおしるこのような、薬膳のような、不思議な味。オレンジ色の飲み物は、オレンジジュースではなく、これも、ニンジンなどの野菜由来のジュース。
台湾の料理は、とてもヘルシーだという印象を受けた。
2013年11月30日土曜日
2013年11月24日日曜日
パレ・デ・シン(君品酒店)のゲストルーム
客室のあるフロアも、エントランスやフロントのように、ゴージャスな雰囲気。
部屋のキーはカード。しかもスイカのように非接触型。ドアの近くにかざすだけで、部屋のカギがアンロックされる。
部屋はモダンな感じ。入り口にすぐ右手がクローゼットになっている。泊まったのは、スタンダードタイプの部屋。
部屋を入ったすぐ左手にあるバスルーム。カーテンを閉めるだけで、ドアなどはない。
そのすぐ右手にトイレがある。カーテンをあければ、バスルームからトイレは丸見え。さらに、トイレにあるドアを開けると、ベッドルームから、トイレ、バスルームが丸見えになる。
ベッドは大きく、ふかふか。よく眠れた。
部屋のカーテンを開けると、ガラス窓の向こうに、板張りのバルコニーがあるが、残念ながら、窓は開かないので、バルコニーに出ることはできなかった。
部屋の奥から、入り口の方を見るとこんな感じ。
冷蔵庫には、ビールとジュースなどが数本あり、無料で呑むことができるが、滞在中に入れ替えはない。
水は、ホテルオリジナルのミネラルウォーターが人数分、毎日もらえる。
ホテルオリジナルのティーバックが何種類か、無料で呑める。烏龍茶、ジャスミンティーなど、どれもこれも美味しかった。
台北のパレ・デ・シン(君品酒店)はお勧めホテル
九分から台北に戻り、この旅での滞在先のホテルへチェックイン。
ホテルは、パレ・デ・シン(君品酒店)というできたばかりのキレイなホテル。大きなショッピングセンターなども入っている複合ビルの中にある。
台北駅のすぐ北側にあり、台湾の地下鉄、MRTの駅にも地下で直結しており、台北の観光には、とても便利なホテルだ。
エントランスを入ると、右手にいきなり、非日常的な空間が広がる。何だか、昔流行ったドラマの、ツインピークスのラストに登場した、不思議な空間を再現したような雰囲気。
フロントは7階。エレベーターで上がると、窓はまったくなく、少し暗めのムィーディーな雰囲気。
朝食は、フロントと同じ7階にあるレストランでブッフェ形式。点心、お粥などの中華料理、パン、ソーセージ、ポテトなどのコンチネンタル、おにぎりなどの日本料理など、いろいろ楽しめる。
デザートは、焼きたてのワッフルがお勧め。生クリームやジャムを、好きなだけ添えて、楽しむことができる。
17階には、エグゼクティブフロアに泊まっている人が利用できるラウンジがあり、夕方は軽食を無料で楽しめる。
夜、外出する前に、食事までの小腹を満たすことができて便利だ。
このホテルは、別な事業を行っていたオーナーが、ヨーロッパを何度も訪れた経験から、台湾にもヨーロッパ風の最先端のホテルを作りたいと思い、始めたという。
ゲストルームのテレビのホテル情報を流す番組で、そうした内容が放映されていた。また、部屋に置かれていたホテル紹介誌にも、同じようにその経緯が掲載されていた。
パレ・デ・シン(君品酒店)のホームページ
2013年11月23日土曜日
九份の悲しい歴史と別れ
九份にいたのは、結局2時間ほどだっただろうか。
着いたときから降り続いていた雨は、止むどころか、どんどんと激しくなってきた。
阿妹茶酒館の向かいにある茶館も、霧の中に包まれている。
九份にある唯一の映画館。昇平戯院。
九份に住んでいた人々の憩いの場所であったろう。この映画館は、映画『非情城市』の舞台にもなった。
この映画は、台湾の歴史に、今も悲しい影を落としている、二・二八事件をテーマにしている。二・二八事件とは、日本の敗戦で、台湾が植民地から解放された直後の1947年に起こった事件。
中国本土での共産党との戦いに敗れた国民党が、台湾に逃れ、台湾の人々は、ようやく日本から解放されたと思ったのもつかの間、新たな支配者を迎えることになった。
そうした支配者への反発から生まれた小さな事件が、多くの逮捕者、死者、行方不明者を出した、大事件へと発展していくことになる。
この事件とは、この旅の先で、また出会うことになる。
九份は、19世紀の後半に金鉱が発見されて、文字通りゴールドラッシュに沸いたが、やがて、日本の占領下となり、日本の藤田組がその開発を請け負い、多くの地元の労働者を使って、金を採掘した。
その労働は、過酷なものだった。体を壊した人々が入院した、当時の病院後が、観光地の片隅にひっそりと建っていた。
九份とその周辺の金鉱は、東アジアでもっとも豊富な金鉱であったという。日本は、そのほとんどを取り尽くし、台湾の開発や、その後のアジアの国々との戦費に使った。
戦後は、その採掘量は激減し、1971年には廃鉱となり、映画『非情城市』のロケ地となるまで、忘れられた町になった。
それが一転。現在では、台湾を代表する観光地になっている。
台北へ戻る頃には、辺りは少し暗くなり始めていた。
ガイドの江さんによれば、夜になると、町中にボンボンの明かりが灯され、町全体が幻想的な雰囲気に包まれ、多くの台北市民が、その夜景だけを味わうために、家族連れで車を飛ばしてくるという。
ほんのわずかの滞在だったが、この九份という小さな町は、私の心に、強く、そして深い印象を残した。
着いたときから降り続いていた雨は、止むどころか、どんどんと激しくなってきた。
阿妹茶酒館の向かいにある茶館も、霧の中に包まれている。
九份にある唯一の映画館。昇平戯院。
九份に住んでいた人々の憩いの場所であったろう。この映画館は、映画『非情城市』の舞台にもなった。
この映画は、台湾の歴史に、今も悲しい影を落としている、二・二八事件をテーマにしている。二・二八事件とは、日本の敗戦で、台湾が植民地から解放された直後の1947年に起こった事件。
中国本土での共産党との戦いに敗れた国民党が、台湾に逃れ、台湾の人々は、ようやく日本から解放されたと思ったのもつかの間、新たな支配者を迎えることになった。
そうした支配者への反発から生まれた小さな事件が、多くの逮捕者、死者、行方不明者を出した、大事件へと発展していくことになる。
この事件とは、この旅の先で、また出会うことになる。
九份は、19世紀の後半に金鉱が発見されて、文字通りゴールドラッシュに沸いたが、やがて、日本の占領下となり、日本の藤田組がその開発を請け負い、多くの地元の労働者を使って、金を採掘した。
その労働は、過酷なものだった。体を壊した人々が入院した、当時の病院後が、観光地の片隅にひっそりと建っていた。
九份とその周辺の金鉱は、東アジアでもっとも豊富な金鉱であったという。日本は、そのほとんどを取り尽くし、台湾の開発や、その後のアジアの国々との戦費に使った。
戦後は、その採掘量は激減し、1971年には廃鉱となり、映画『非情城市』のロケ地となるまで、忘れられた町になった。
それが一転。現在では、台湾を代表する観光地になっている。
台北へ戻る頃には、辺りは少し暗くなり始めていた。
ガイドの江さんによれば、夜になると、町中にボンボンの明かりが灯され、町全体が幻想的な雰囲気に包まれ、多くの台北市民が、その夜景だけを味わうために、家族連れで車を飛ばしてくるという。
ほんのわずかの滞在だったが、この九份という小さな町は、私の心に、強く、そして深い印象を残した。
阿妹茶酒館でお茶を楽しむ
九份の阿妹茶酒館で、お茶を楽しんだ。
今回の旅では、中国茶というべきか、台湾茶というべきか、とにかく、こちらのお茶を楽しむのが一つの楽しみだった。
まず、すべての器を、上の写真にある石の台の上にぐるりと並べ、お湯をまんべんなくかけて暖める。
次に、急須に茶葉を入れて、お湯を注いでから、呑む器に注ぐが、それは呑まずに捨ててしまい、器に残った残り香を楽しむ。烏龍茶の香りがとてもいい。
呑むのは、2番茶から。茶葉は入れ替えず、再びお湯を急須に入れ、ある程度時間がたったら、急須の中のお茶を、残さず全て注ぐための容器に移し、急須は空にしておく。
後は、その注ぎ用の容器から、呑むための容器に移して呑む。
多数の観光客が訪れるだけあって、店員さんは、そうした説明を流暢な日本語でしながら、テキパキとお茶を入れて行く。
あまりにその手並みが早く、写真を撮る暇がない。
ようやく口にした烏龍茶は、いやはや、とにかく美味しい。
当たり前のことだが、日本で、ペットボトルやティーバックで呑み馴れた烏龍茶とは、全く違う飲み物ではないか、と思うくらいに違う。美味しい。
いやはや、この店での経験から、台湾茶の魅力に、完全にはまってしまった。
この旅の後、何度となく、台湾茶を楽しむことになる。
お茶のセットには、何種類家のお茶菓子が付いている。右下の白い菓子は、梅を乾燥させたもの。烏龍茶によく合う。
急須を開けると、烏龍茶の葉が大きく広がっているのが分かる。
茶葉を変えずとも、5回くらいはお湯を足して、お茶を楽しむことができる。
それぞれの席の下には、熱いお湯がいつでも沸いているので、いつでも熱いお茶が楽しめるようになっている。
何度もお湯を注いで、お茶を楽しめるように、一度お湯を入れたときは、お茶を完全に絞り出し、中に残さないようにする。
当初の予定では、このお店で、30分くらいお茶をしてから、町中を散策する予定だったが、雨が強くなってきたこともあり、帰りの集合時間まで、結局、このお店でダラダラとお茶を楽しんでしまった。
ある意味では、のんびり、ゆったり気分で、お茶の時間を楽しむことができて、その方が良かったのかもしれない。
今回の旅では、中国茶というべきか、台湾茶というべきか、とにかく、こちらのお茶を楽しむのが一つの楽しみだった。
まず、すべての器を、上の写真にある石の台の上にぐるりと並べ、お湯をまんべんなくかけて暖める。
次に、急須に茶葉を入れて、お湯を注いでから、呑む器に注ぐが、それは呑まずに捨ててしまい、器に残った残り香を楽しむ。烏龍茶の香りがとてもいい。
呑むのは、2番茶から。茶葉は入れ替えず、再びお湯を急須に入れ、ある程度時間がたったら、急須の中のお茶を、残さず全て注ぐための容器に移し、急須は空にしておく。
後は、その注ぎ用の容器から、呑むための容器に移して呑む。
多数の観光客が訪れるだけあって、店員さんは、そうした説明を流暢な日本語でしながら、テキパキとお茶を入れて行く。
あまりにその手並みが早く、写真を撮る暇がない。
ようやく口にした烏龍茶は、いやはや、とにかく美味しい。
当たり前のことだが、日本で、ペットボトルやティーバックで呑み馴れた烏龍茶とは、全く違う飲み物ではないか、と思うくらいに違う。美味しい。
いやはや、この店での経験から、台湾茶の魅力に、完全にはまってしまった。
この旅の後、何度となく、台湾茶を楽しむことになる。
お茶のセットには、何種類家のお茶菓子が付いている。右下の白い菓子は、梅を乾燥させたもの。烏龍茶によく合う。
急須を開けると、烏龍茶の葉が大きく広がっているのが分かる。
茶葉を変えずとも、5回くらいはお湯を足して、お茶を楽しむことができる。
それぞれの席の下には、熱いお湯がいつでも沸いているので、いつでも熱いお茶が楽しめるようになっている。
何度もお湯を注いで、お茶を楽しめるように、一度お湯を入れたときは、お茶を完全に絞り出し、中に残さないようにする。
当初の予定では、このお店で、30分くらいお茶をしてから、町中を散策する予定だったが、雨が強くなってきたこともあり、帰りの集合時間まで、結局、このお店でダラダラとお茶を楽しんでしまった。
ある意味では、のんびり、ゆったり気分で、お茶の時間を楽しむことができて、その方が良かったのかもしれない。
2013年11月17日日曜日
九份のシンボルもといえる阿妹茶酒館
基山街を抜けていくと、右に坂を下る小さな道にぶつかる。そこを少し下ったところに、阿妹茶酒館がある。
台湾の旅行ガイドで、九份を紹介している部分に、必ずと言っていいほど登場しているのがこの店。
夜になると、赤いボンボリのような提灯に明かりが灯され、幻想的な景色に変わる。
文字通りの茶館だが、1989年の台湾映画で、ヴェネツィア金獅子賞を受賞した『非情城市』で登場し、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』でも、登場する屋敷のモデルになったとも言われ、今では九份のシンボル的な存在になっている。
入り口には、奇妙な3つのお面がある。この店の店主が、ドイツ人から譲り受けたもので、日本のお面だと言う。『千と千尋の神隠し』にも登場した。
お店は坂の途中に建てられ、坂を利用して3階建てになっている。2階部分に入り口がある。
中は、ゆったりとした造りになっていて、それまで狭い路地のような道を歩いてきているせいか、中に入ると、落ち着いて、開放的な気分になる。
阿妹茶酒館では、お茶を味わいながら、本格的な台湾料理も味わえる。名前の通りお酒も提供している。
2階の一番奥には、千手千眼観音がお祀りしてあった。
台湾では、観音信仰が盛んで、この旅でも、いろいろな場所で、観音様を祀っている場面に出会うことになる。
3階部分には、屋外席があり、天気がいいときは、ここから海が見渡せるようだ。
ガイドの江さんによれば、九份はおおむね天気が悪く、いつも曇りか雨で、晴れる日は少ないとのこと。
江さんの知り合いの日本人は、今まで七度もこの九份を訪れているが、一度も晴れた日に巡り会わせたことがない、というエピソードを紹介し、私たちを慰めてくれた。
九份の基山街〜アジアの混沌と日本の懐かしい雰囲気
セブンイレブンが目印の、舊道口という入り口から基山街という狭い通りに入る。道の両側に、沢山の飲食店などのお店が並んでおり、いかにもアジア的な雑多な雰囲気で、それまでののどかな山の上の風景から一変する。
雨が降っているので、傘をさしている人が多く、狭い道が、余計に狭く感じる。
店は、食べ物屋が多い。店の店頭で作りながら売っている店もある。
この店では、巨大なエノキ茸をそのまま焼いて売っていた。
こちらの店では、イノシシ肉のソーセージ。1本40元。1元(台湾ドル)は、およそ3円なので、120円ほど。
こちらは、何ともエキゾチックな食べ物。ガイドの江さんによれば、紅糟肉団というもので、ゼラチンの皮の中に、ミンチした肉が入っているとのこと。
とある雑貨屋さんの建物。美しい彫刻で飾られている。この通りには、ゴールドラッシュの最盛期だった20世紀初頭の日本統治時代の古い建物が、あちらこちらに残っているようだ。
昔、日本の駄菓子屋に、同じようなものがあった。紙を破ると、中からお菓子や小さな玩具が入っていた。こちらは、中に何が入っているのだろうか。
九份の基山街は、アジア的な混沌とした雰囲気と、日本のなつかしい趣が、ごった煮になったような、不思議な場所だった。
2013年11月16日土曜日
松山空港から九份へ
松山空港では、現地ガイドの江さんが待っていた。
この日は、ホテルにチェックインする前に、九份への半日日帰り旅行をする予定になっていた。
九份は、かつてはゴールドラッシュに湧いた金鉱の町。その後廃れたが、映画『非情城市』の舞台になり注目され、宮崎駿の『線と千尋の神隠し』でも取材先となったこともあり、今では有数の観光地になっている。
江さんは、ベテランのガイドという雰囲気で、手際よく、我々を案内し、両替などを促し、外で待っていた車まで連れて行ってくれた。
松山空港から九份へは、車で1時間ほど。台北の市内を抜けて、東北の方向に向かう。
15分ほど走ると、すっかり周りは緑。九份は山の上にあるので、移動するに連れて、どんどんと標高が上がって行くのがわかる。
途中、瑞芳というやや大きな町を抜ける。道の両側には、コンビニや飲食店などが建ち並び、それまでののどかな風景が一変する。
鉄道の駅があり、台北から鉄道で九份に向かう人は、ここでバスかタクシーに乗り換えるようだ。
ガイドの江さんによれば、この瑞芳は、九份で働いていた金鉱夫たちが、その疲れを楽しみで癒すために降りてくる、そんな場所だったのだという。
江さんは、詳しくは説明しなかったが、かつては、博打や遊郭などが沢山あったようだ。
瑞芳の町を抜けると、道は一気に山道を登って行く。やがて、山の上に、多くの建物が建ち並ぶ一角が見えてきた。ここが九份だった。
この日はあいくにの雨。天気がいい日は、展望台から絶景が望め、遠くの海まで見えるという。
九份の町は、細い路地のような通りに、沢山の店が建ち並んでいる。
その通りへの入り口は、セブンイレブンが左手にあり、わかりやすい。
旅行のバッグに折りたたみの傘を入れてきながら、空港で取り出すのをすっかり忘れてしまったので、仕方なく、入り口付近にあった店で、紫色の折り畳み傘を購入した。100台湾ドルだった。
エバー航空のハローキティージェットで台北へ
台北へは、東京の羽田空港から、エバー空港で台北の松山空港へおよそ4時間の空の旅。
台北には、市内の北部にある松山空港と、市内から車で1時間ほど離れた、西部にある桃園空港の2つがある。
羽田からの便は、松山空港に到着するので、到着後からすぐに市内を観光できる。時間を節約したいなら、羽田がお勧め。
飛行機は、日本のサンリオのキャラクター、キティちゃんが描かれたハローキティージェットだった。
機体のみならず、飛行機の中に入っても、座席スクリーンでの機内案内のビデオや、座席カバー、枕などもキティちゃん一色。
始め、これは日本人向けのサービスかと思ったが、後で、台湾で時間を過ごすうちに、台湾の人々が、こうしたいわゆる”カワイイ”ものが大好きであることが分かった。
ハローキティージェットも、日本向けの空路だけではなく、中国、韓国、グアム、アメリカ行きの空路にも使われている。
つまり、決して日本人向けということではなく、台湾の人々が、キティちゃんのようなカワイイキャラクター好きであることから、サンリオと提携しているらしい。
機内食の食器や具材にも、キティちゃんが登場する。
これは、エコノミークラスの機内食。メインは、白いご飯の上に、サーモンのあんかけ煮が乗っている。味は美味しかった。
他に、パン、黄色とピンクの二色のそば、これには、キティちゃんの顔のかまぼこが付いていた。それに、フルーツとハーゲンダッツの抹茶のアイス。
食後には、台湾の名物である烏龍茶を頼んだ。濃厚で美味しい。
エバー空港は、海運会社として有名な、エバーグリーン・マリン(長栄海運)のグループ企業として、1989年から運行している。これまでに、死亡事故は一度も起こしていないという優良航空会社だ。
ハローキティージェットのホームページ
エバー航空のホームページ
プロローグ
台湾は、かねてより、訪れてみたい国の一つだった。
訪れるまで、この国へのイメージは、点心などのおいしい台湾料理、かつての日本の植民地だが親日家の多い国、中国の歴代皇帝の至宝を治める故宮博物院、といったものだった。
この旅では、そうしたイメージを辿りながら、また、新たなものにも出会った。
台湾という国を、一言で言い表すのは難しい。そこには、実に多くのことを、見いだすことができる。そこは、この小さな星の中でも、得意な場所なのではないか。
旅を振り返りながら、そう思ったことなどを、現地で撮った写真とともに、書き記して行きたいと思っている。
これは、2013年10月31日から11月3日まで、台北と九份を訪れたときの、旅の記録である。
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