2013年12月21日土曜日

原住民文化主題公園にて遠い遠い昔に思いを馳せる


順益台湾原住民博物館の通りのすぐ向かいに、原住民文化主題公園、という名前の公園があった。

博物館で購入したガイドブックによれば、台湾にはおよそ3万年前に左鎮人、と呼ばれる人々が住んでいたという。

1万5千年前には、台湾の太平洋側のほぼ中央部の海岸付近に、長浜文化、という文化遺跡が発見されている。


公園の通りに面した場所には、原住民がそれぞれの民族衣装を来ている大きなレリーフが並んで建てられていた。

台湾の原住民は、南東語族あるいはオーストロネシア族といわれる民族グループに属している。

このグループは、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ニュージーランド、ハワイ諸島、ポリネシア諸島、イースター島、そしてアフリカのマダガスカル島まで、広く分布している。

その総人口数は、およそ2億人といわれ、大きな国家を形成できるほどの規模を誇っている。

台湾では、14民族、およそ50万人ほどが原住民として、政府によって認定されている。これは、台湾の人口の2%ほど。最も多いのはアミ族で、11万人ほど。次に多いのは、パイワン族でおよそ85,000人、そして次が、タイヤル族のおよそ81,000人。


台湾の原住民といわれる人々は、何万年もの間、狩猟や採集といった暮らしをずっと続けてきた。

台湾が、他の地域と密接に結びつくようになったのは、18世紀にオランダ人がこの知を植民地化した時から。

明の末期に、清により新しい帝国の前に、最後まで抵抗した鄭成功がこの大陸を根拠地とした。

清の時代になり、福建省の人々が、台湾に住み着くようになり、海を渡った。その数は、台湾の原住民の人々の数をあっという間に凌駕し、この島は、徐々に漢民族が住む島となっていった。

日本が台湾を植民地としていた時代には、日本人による大量殺戮という悲しい出来事もあった。その一方で、太平洋戦争中は、高砂義勇軍として日本軍の指揮下で戦っている。

現在は、原住民の人々が守ってきた暮らしは、台湾の伝統文化として位置付けられている。

台湾と沖縄はすぐ近く。おそらく、南から台湾に移り住んだ人々の中から、さらにその北に船を進めた人々がいたはずだ。

そうした人々は、沖縄や、その先の、九州などの地にたどり着いたに違いない。その痕跡は、沖縄のみならず、北海道のアイヌの人々の暮らしにも残っている。

この公園を歩きながら、遠い昔に、そうした海を渡って行った人々に、思いを馳せた。

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