2014年1月26日日曜日

台北101から台北市内を臨む

台湾旅行の3日目。まずは、台北で最もポピュラーな観光スポットの一つ、台北101に向かった。


朝、10時頃には着いたのだが、すでにエレベータの前には長蛇の列。エレベーターの乗るまでに、およそ30分くらい待っただろうか。


この台北101の展望台に上るエレベーターは、日本の東芝製で、わずか37秒で89階の展望台に到達する。2004年のギネスブックに、世界最高速度のエレベーターとして登録されたという。その記念のパネルが誇らしげに、乗り場に飾ってあった。


地上およそ500メートル、台北101の展望台から、台北市内中心部を望む。所々、高いビルは見えるが、さすが、台北101の高さは群を抜いている。


松山空港の滑走路もよく見える。松山空港に到着した時、空港からこの台北101がよく見えたっけ。


こちらは、町の中心部と反対側。北部の山岳地帯を望む。初日に訪れた九份も、この方向にある。


展望台のフロアには、カフェやお土産物やなどが並んでいる。また、ポストもあり、ここから世界中に手紙を出すことができる。


展望台に上がるのも大変だったが、案の定、降りるのにも時間がかかる。

団体客や個人客が入り交じり、大変な混雑。知り合いを見つけては、途中から割り込んできる人が多く、なかなか前に進まない。ここでも、降りるまで、30分ほど待たされた。


台北101の下には、5階建ての巨大なショッピングモールがある。3階の吹き抜けのホールの巨大さには、驚かされた。誰もが知っている、世界的なブランド企業が店を構えているが、午前中だったせいか、廃墟のように、誰もいない。


しばらく歩いてから振り返ると、また来いよ、とでも言っているように、台北101は台北の空にそびえ立っていた。

2014年1月13日月曜日

京鼎樓で点心を味わう

台湾旅行の2日目の夕食は、台北市内のMRT中山駅から歩いてほど近い、点心の名店、京鼎樓(Jin Din Rou)で点心を味わった。


店は、大通り添いにある。周囲は繁華街で、飲食店がたくさんあるので、入り口はあまり目立たない。

予約しはしてなかったが、時間が早いこともあってか、2階の席に座ることができた。

日本の客もあちらこちらに見受けられる。でも、観光客ばかり、というわけでなく、家族連れの地元の人々も多くいた。

日本語のメニューもあるので、注文に困ることはない。


酸辣湯は、黒酢ベースの味で、豆腐などの具がたっぷり。大と小があり、これは小。それでも、量はたっぷりで、味も良く、大満足。


こちらは、野菜のスープ。味は、シンプルで塩気もそれほどなく、美味しい。


炒空心菜。ニンニクと塩でシンプルに炒めたもの。勿論、これも美味しい。


そして、主役の小籠包。一番上にあるのが、普通の小籠包。右下にあるのが、烏龍小籠包。左下にあるのが、蟹肉小籠包。

烏龍小籠包は、烏龍茶の味はそれほど強くなく、ほのかにお茶の風味がする感じ。小籠包の本来の味と、絶妙なバランス。

蟹肉小籠包は、口に入れたとたんに、口の中に蟹味噌の香りが広がる。濃厚な味わい。

そして、点心には、やっぱり紹興酒がよく合う。

京鼎樓は、世界的に有名な鼎泰豐で働いていた兄弟が始めたお店。鼎泰豐よりあっさりした味付けを目指しているという。

日本にも店が何店か出しており、日本の台湾旅行者向けのガイドブックでも、よく紹介されている。

間違いなく、お勧めのお店だ。

台北で最も大きい士林観光夜市へ

故宮博物院の見学を終えて、バスを使ってMRTの士林駅に戻った。

1駅だけ移動し、剣潭駅で下車し、士林夜市に向かった。

夜市は、台北観光には欠かせない観光場所の1つ。台湾市内には、各地に多くの夜市があり、ガイドブックなどに、それぞれの違いなどが掲載されている。士林観光夜市は、その中でも、最も大きく、最も有名だ。


剣潭駅を降りると、夜市に向かう人々で、もの凄い混雑。しばらく歩くと、アメ横のような通りが見えてきた。


道の両側には、実に様々なお店が並んでいる。衣料関連の店が多いが、食べ物屋、雑貨などもある。

道の真ん中にも、所々で、売り物が堂々と並べられているも場所ある。何でもありのアジアらしい雰囲気。


空豆の形をした不思議なキャラクター。

中央の通りには、左右に入る小道が無数にあり、その小道にも、両側にびっしりと店が建ち並んでいる。

歩いているうちに、完全に迷子になってしまった。改めてガイドブックで場所を確認し、士林夜市の中心にある、士林市場を目指す。


士林市場は、地上と地下に別れている。最近作られたばかりの建物のようで、エスカレータや、荷物を置いておくコインロッカーもある。

地上の部分には、衣料品や土産物屋、雑貨などのお店が整然と並んでいる。この建物の周りにある雑多とした雰囲気とは、明らかに違っている。


地下1階は、B級グルメの天国のような所。いろいろな料理が並んでいるが、どれも美味しそう。どの料理も、店頭で作っており、その場で食べれるように、イスと机も並べられている。


この士林観光夜市は、日本統治時代に作られた。その後、老朽化し、2002年には、近くに場所を移して営業していたが、2011年に昔の場所でリニューアルオープンした。今の士林市場という建物も、その時に建てられた。

夕食は、この後、別な場所で食べる予定だったので、残念ながら、ほとんど何も食べれなかったが、その雰囲気は十分に楽しめた。

故宮博物院の特別展・十全乾隆

故宮博物院のカフェ・レストラン、三希堂で一休みして、再び探索を開始。

団体客が大挙訪れる、ピークの時間は過ぎたようで、ゆっくり見学できそうだ。

私が訪れた時期、三希堂の主だった、清の高宗、乾隆帝に関する特別展、十全乾隆-清高宗的藝術品味特展が開催されていた。

乾隆帝は、1711年に生まれ、1799年に没した。その生涯は、ほぼ18世紀全体をカバーしている。清の三代目の皇帝としても、1736年から1796年のおよそ60年の長きに在位についていた。

乾隆帝の時代は、清が最も栄えた時代といわれている。

乾隆帝は、晩年に自らのことを、十全老人と称した。十全とは、全てが、満たされていること。日本の平安時代の政治家にも、自分の生涯を満月に例えた人物がいるが、この東アジア全体を支配した乾隆帝の栄華の大きさに比べたら、スケール感は全く異なる。

乾隆帝は、忙しい政務をこなしながら、芸術品の鑑賞、整理、保護にも熱心に取り組んだ。自らも書や詩を書き、その数は4万点にものぼる。

清を建てた女真族は、モンゴル系の遊牧民族でありながら、中国の文化を尊重し、歴代の王朝が保管してきた文物を、そのまま継承した。

会場には、乾隆帝の好みの文物が展示されている。玉器、宋の青磁、各時代の書画などなど。

乾隆帝は、収集するのみならず、自ら書画の練習を行った。王羲之や顔真卿の書、李迪の鶉図などを、乾隆帝が、そのまま忠実に写したものが、展示されていた。

乾隆帝が命じてまとめさせた、四庫全書。中国の歴史上、最大の文書集積で、四庫とは、経・史・子・集を意味する。全て合わせると、36,000冊、230万ページ。それを収めるだけで、一つの図書館が必要だろう。

過去の書画について、乾隆帝が特に愛した者には、自らその端に、”神”という字を書いている。神業、といった意味だろうか。

清の時代、都の北京には、ヨーロッパの画家たちも暮らしていた。乾隆帝のヨーロッパ風の肖像画は、その端正な顔立ちを伝えている。

乾隆帝は、中国の過去の文化に敬意を払い、ヨーロッパの文化にも興味を持つ一方で、自らの女真族の文化も重視していた。モンゴル文字で書かれた、チベット仏教の美しい経典。乾隆帝は、毎朝、その経典を読んで、一日をスタートさせていたという。

考えてみれば、この故宮博物院全体が、乾隆帝のコレクションそのものともいえる。

特別展であるためか、あるいは、すでに夕方になっていたせいか、このコーナーを見学している人は、少ない。おかげで、ゆっくりと、じっくりと、このたぐいまれな皇帝のコレクションを鑑賞することができた。

さて、これでほぼ半日をかけた故宮博物院の見学も終了。



再び、来た時の長いエントランスを辿りながら、考えた。

乾隆帝の死から、アヘン戦争までは、およそ50年ほどしかない。どうして、これほどまでに栄華を極めた清帝国が、あれほどもろくも崩壊してしまったのだろうか。

何とも、複雑な気分とともに、故宮博物院を後にした。

2014年1月4日土曜日

故宮博物院の水墨画・書コレクション


故宮博物院の水墨画・書のコレクションは、2階に展示されている。陶磁器や玉器に比べて、展示スペースは少し狭い。

褚遂良の黄絹本蘭亭。有名な王羲之の蘭亭序を写したもの。

褚遂良は、唐の時代の政治家。唐の大宗に仕え、王羲之の書の管理、鑑定に携わっていたという。

その褚遂良による王羲之の模写は、おそらく最も忠実な模写の一つだろう。周りの字に比べ、やや大きく書かれた”観宇宙之大府”という字に、王羲之の晴れ晴れとした気分が、よく表れている。

蘭亭序のオリジナルは、唐の大宗が自分の陵墓にいっしょに埋めてしまい、今日では見ることができない。大宗は、この褚遂良の書を見て満足し、後世に残すのは、この写しだけで十分だと、自分に言い聞かせたのかもしれない。

褚遂良は、息子の高宗の時代になり、その后に武則天(則天武后)を立てることに反対し、今のヴェトナムの地に左遷され、その地で死んだ。

中国の書の多くは、実際に世の中を動かしていた政治家たちによって書かれたものが多い。その文字の一つ一つには、日本の能書家の文字にはない、特別な緊張感を感じる。

宋の皇帝、徽宗による、独特な細い字で書かれた書詩。

宋は、徽宗の時代、遼や金といった北方の騎馬民族に悩まされていた。自らの決断の甘さもあり、息子の皇帝、欽帝とともに、金の捕虜となり、その地で亡くなった。

その反面で、書画に優れ、多くの名品を後世に残している。この書もそのひとつだが、その極端なまでに細い書は、まるで、本人の性格を象徴しているようだ。

この人物は、その生きた時代の皇帝としては、およそ不適格な人物であった。自分でも、政治のことは側近に任せ、自分は、書画の世界に行きたかったに違いない。

どうも、いろいろなことを考えてしまい、なかなか次の作品に進めない。

水墨画のコーナーへ。

水墨画の最高傑作と言われる、范寛の谿山行旅。鑑賞するのを楽しみにしていたが、残念ながら、展示されていなかった。

范寛と同じ宋の時代の水墨画、郭煕の早春図。およそ1,000年前の作品とあって、全体的に黒ずんでしまっている。そのせいか、早春という感じはしない。しかし、絵の前に立つと、何とも表現できない、迫力というか、気のようなものを感じる。

画面の一番下の水辺に、小さな人影が見える。その上には、山々が靄をたたたえながら、そびえ立っている。画面のちょうど真ん中の辺りに、宮殿のような建物が見える。そして、画面のてっぺんにある山の頂き。

画面の下から、上にかけて、人間の進化の様子を描いているようにも、道教の世界の、仙人への修行の道を描いているようにも見える。

金の時代、武元直の赤壁図。三国志で有名な赤壁を描いている。川面から、絶壁がそそり立っているが、実際の赤壁はこのようになっていない。ここに描かれているのは、現実の赤壁ではない。人々のイメージの中の赤壁だ。

故宮博物院の三希堂で一休み

午後1時を過ぎてくると、徐々に人出が多くなってきた。午後2時を過ぎると、主要な作品がある部屋には、入口に長蛇の列ができるようになった。

小腹も空いたので、最上階にある喫茶室、三希堂へ。

三希堂とは、清の皇帝、乾隆帝(高宗)が作らせた書斎の名。高宗は、王羲之の「快雪時晴帖」、王献之の「中秋帖」、王珣の「伯遠帖」を合わせて、三つの希なもの、三希と呼んで、この書斎に大切に収めていた。


カフェは、黒い茶色の木調で統一されていて、落ち着いた印象を与える。のんびりとできる。


台湾の名物料理、肉そばを注文。とってもおいしい!


いっしょに付いている、この肉団子のスープがたまらない。鶏ガラのスープで、塩気はほとんどなく、鶏ガラの味そのものを十分に堪能できる。


飲み物は、アーモンド・ジュース。えっ?アーモンド?

メニューを見た時に、その味を全く想像できず、呑んでみたら、杏仁豆腐の味。そうか、杏仁って、中国語でアーモンドの意味だっけ。


食後は、台湾茶。この左に見える大きなカップは、上にお茶葉を入れ、お湯を注ぎ、右の砂時計で時間を計り、時間が経てば、左上のボタンを押すと、お湯だけが下に落ち、茶葉はそのまま何度も使うことができる、という便利なものだった。

さーてと。小1時間休んだので、少しは混雑も解消しただろう。

下界に戻ろうとしよう。