2014年8月15日金曜日

中正記念堂における蒋介石

89段の階段を上り、中正記念堂の内部へ。

いきなり、大きな銅像が来場者を迎える。いや、迎えるというよりは、威圧している、といった方がいいかもしれない。


文字通りの、個人崇拝。日本にも、偉人の銅像などはよく見かけるが、これほど大きなものはない。

皮肉にも、この蒋介石の巨大な銅像の存在は、台湾において、蒋介石が単なる独裁者であった、ということを、悪い意味で証明している。


最上階の蒋介石の銅像を”拝んだ”あとは、建物の中を下りながら、見学路が進んでいく。

各階には、書や絵画の展覧会が開かれる、大きなホールなどがあった。

1階部分は、蒋介石にゆかりの品々が展示されていて、さながら、蒋介石博物館、といったところ。


見学コースの最後の部屋は、蒋介石の執務室をそのまま再現した部屋になっていた。

蒋介石という人物は、実に興味深い人物だ。

早くから、孫文に指示し、いわゆる”大物”が次々に倒れていく中で、次第に頭角を現し、やがて、孫文から、自分の後継者と目されるようになった。

二番目の妻だった宋美齢は、孫文の妻、宋慶齢の妹だった。裕福な客家の娘で、学生時代はアメリカに留学し、英語が流暢だった宋美齢は、欧米の指導者たちとも交流し、国民党の存在を、国際的に位置付けるのに大きく貢献した。

蒋介石は、派手な生活を好んだ妻とは対照的で、酒もタバコもせず、中華民国の総統となった以降も、生涯、生真面目な性格のままだった、という。

日本との関係も深く、盧溝橋事件で日中が全面戦争に突入する以前は、犬養毅らの日本の政治家たちとも交流を持っていた。

台湾へ移ってからは、日本の旧軍人を雇い、台湾の中華民国の軍人の教育にあたらせたという。

その人物像からは、独裁者、というイメージは思い浮かばない。しかし、彼がこの島で行った行動は、文字通り、独裁者そのものだった。


この日の午後、総統府、二二八記念館、そしてこの中正記念堂と足早に見学し、さすがに疲れきって、中正記念堂の1階のイスでしばしの休憩を取った。

天上を見上げると、そこには、中正記念堂の文字を上手にデザインした灯があった。

0 件のコメント:

コメントを投稿