2014年8月15日金曜日

蒋介石を記念する中世記念堂へ

228記念館を出て、二二八公園を抜けて、中正記念堂へ向かった。入口までは、歩いて10分ほど。


途中の交差点に、大きな門があった。

台北は、清の統治時代に、城壁で囲まれた城壁都市だった。これは、その時代の東門を再建したもの。北門は、今も光緖帝の時代の門が残っている。


東門の交差点を右折すると、左手に、訪れる人を威圧するような、大きな白い門が見えてきた。これが、中正記念堂への入口だ。

門の上には、”自由広場”と書かれているが、その威圧的な雰囲気から、”自由”という言葉は、似つかわしくないように思える。誰にとっての自由なのか?


門をくぐると、広大な空間の向こうに、白い建物が見える。その雰囲気は、まるで、北京の紫禁城のようだ。

広場の左手と右手には、茶色の瓦屋根と、赤い柱が印象的で、これまた巨大な建物が、双子の兄弟のように建っている。

それぞれ、コンサートホールと劇場で、台湾の一流のアーティストや、海外からの大物のコンサートや公演が行われる。


広場の一番奥には、白亜の建物がそびえ立っている。これが、中正記念堂だ。

中正記念堂は、本土における共産党との戦いに敗れ、台湾に逃れ、この地を支配した、国民党の蒋介石を記念して、1980年に作られた。中正とは、蒋介石のこと。

その後、2000年に、それまでずっと続いてきた国民党から民主進歩党の政権に変わり、新政権は、この建物の名前を、台湾民主記念館と変更した。

民主進歩党によれば、蒋介石は二二八事件の責任者であり、その人物の名前が付いているのは、好ましくない、ということなのだろう。

しかし、この施設は、紛れもなく、蒋介石を称えるために作られた施設だ。

上に上るための階段は、89段あるが、これは、蒋介石が亡くなった年齢に等しい。

2008年に、国民党は政権に返り咲き、この施設の名前も、もとの中正記念堂に戻った。

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