総統府を出て、しばらく歩くと、左手に大きな公演が見えてくる。二二八和平公園というところで、日本の占領時代に作られ、その当時は、台北新北公園と呼ばれていた。
広大な敷地の中には、中国風の庭園や、国立の台湾博物館などが建てられている。その公園の中に、228記念館があった。
この度の最初に、九份を訪れた。そこは、映画『非情城市』の舞台だったが、その映画は、台湾の現代史に、大きなくらい影を落としている、二・二八事件を描いたものだった。
228記念館の近づいていくと、何やら音楽が聞こえてきた。丁度、市民コンサートが記念館の前で開催されており、多くの人が、折りたたみに椅子に座って、クラシック音楽に耳を傾けている。
「日本人の方ですか?」
館内に入ると、初老の男性が、親しげに流暢な日本語で話しかけてきて驚いた。
日本の占領時代に、少年時代を過ごしたというその人物は、丁寧に記念館の説明をしてくれた。この建物は、日本の占領時代は、台湾ラジオ放送局として使われていたという。
今も、その放送室が記念として残されている。この放送局からは、いわゆる昭和天皇の玉音放送が台湾全土に流された。
「日本人が台湾にいた時代はとても良かった。今よりも、ずっと良かった・・・」
その人は、しみじみと、最後にそうつぶやいた。
館内の展示は、二・二八事件だけに限ったものではなく、日本の占領下における、台湾の人の自治運動の紹介から始まっている。
古びた外観とは異なり、内部はきれいに改装されていて、落ち着いた色合いで統一されている。
自治運動は、1920年代から活発になった。その流れは、戦後の二・二八事件にもつながっている。
日本の敗戦後、台湾の地には、大陸から蒋介石の国民党政権がやってきた。
残念ながら、新しい体制の中には、台湾の人々の活躍する余地は無かった。要職は、すべて大陸からやってきた、国民党の人々によって占められ、台湾人による自治、という理想とは、ほど遠いものだった。
展示コーナーは、そのまま2階に続いていた。
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